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翻訳という仕事/小鷹信光

2001年10月02日(火)
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翻訳という仕事/小鷹信光
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こういった類の本(翻訳家志望の人向けに、翻訳家とはどういうものか、翻訳家なんか儲からないし、なってもしょうがないよ、ということを教える本)はたくさんあるのだけれど、他人の翻訳をこれでもかとこきおろしているものほど、面白いものはない。翻訳には正解がないので、どうとでも言えるのだ。

以前に勝浦吉雄訳の『ハックルベリ・フィンの冒険』を読んだ時、うしろに35ページもの「翻訳小史」なるものがついていて、思いっきり笑わせてもらった。

当人はその小史の中で、他人の翻訳をさんざんこきおろしてしまったがために、肝心の原文の翻訳のほうで、のびのびと訳せなくなってしまっているという本末転倒な事態に陥っており、本文はまったくつまらない訳文だが、それよりも付録の小史のほうが何倍も面白いという、奇妙な本になってしまっている。

これがまったく「重箱の隅をつつく」という表現にぴったりくるような内容で、

「難破船の百メートル川下・・・」→100ヤードは90メートル強

「セント・ルイス」→セントルイス

「千キロも先」→1000マイルは1600キロあまり

「袋の粉がこぼれて」→コーンミールはひき割り粉

などという指摘がずらりと並んでいる。

中には重大な誤訳というのもあるだろうが、ここに並べたようなことは、はたして原文の内容に差し障りがあるものなのだろうか?

とかく人のミスは目につくもので、往々にして自分のミスには気づかないことが多い。小鷹氏も、頼まれたわけでもないのに重箱の隅をつついた上で、逆に他人に指摘されたミスを恥じていた。それはそれで公正な態度だからいいんじゃない?と思うけど。

他人のミスを指摘しても、自分はミスを犯さないという自信があれば別だけれど、何事もあんまり重箱の隅はつつかないほうがよろしいのでは?目には目を、歯には歯をで、つつき返されるのがおちだ。しかし読者の立場からすると、そういったやり取りが、ヘタな小説よりも面白いのは事実。

サマセット・モームとD・H・ロレンスのバトルも、二人とも高名な作家だけに、半端じゃなく面白い。それに匹敵するものといえば、TVタックルの「超常現象・炎の大げんかバトル」くらいだろうか。(^_^;

作家、翻訳家諸氏には、どんどんそういったバトルを繰り広げてもらって、読者を大いに楽しませてほしいものだ。特に前述の勝浦氏には、本文はいらないから、翻訳小史のほうだけで(他の作品の小史もまとめて)、1冊出して欲しいよ!絶対受けるって!間違いなく!



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